No5<壁画修復現場研修>
11月17日。ボルドーラ教授。ジャニーナさん(修復家)に同行し再度モルドバ修道院研修に参加しました。ノルド駅発夜行寝台(1等車)は素敵なコンパートメントでしたが揺れが激しく眠れぬまま7時間後スチャーバ、ゲルギオ修道院に着きました。小一時間の仮眠のあと車で一時間の小さな村の修道院は、イギリスの援助が決まりこれから修復のプロジェクトを組むというのです。早速ボルドーラ教授率いる修復班7名による調査が開始されました。まず教会全体の傷み具合を克明に記録します。ライトを斜めからあて表面の凸凹が分かるよう写真を何枚も撮影し、大天井は脚立に乗り1,000Wのライトをあて撮影。凍てつく寒さの中、連写の音だけが教会に響きわたります。15世紀に幾度となくトルコ軍に攻められたモルドバ地方の教会のフレスコ画はかなりの被害を受けています。顔、目が無惨に削り取られ、亀裂が痛々しく走り、遙か中世の戦いの激しさに想いを馳せながら、時の流れと人の愚かさを思いました。
やっと一段落したpm5時、司祭の家で祈りを捧げた後、ルーマニアスタイルのパンと手作り常備菜の素朴な軽食です。暖まる間もなく教会に戻り作業を再開。教会内部は長年に渡る蝋燭の煤とほこりのため真っ黒になっています。様々な場所を薄いアンモニア水で部署ごとにテクニックを使い分け丁寧かつ慎重にクリーニング作業は進められゆきます。下地材の採集。顔料破片採集。壁画表面塩分テスト。壁に記録ナンバーの紙が貼られ採取された材料が試験官に収められてゆきます。後始末を完璧に終了したのは夜9時を回っていました。真っ暗な夜道を車で1時間。僧院の食堂にはマリアおばさん手作りのザフースカとピクルスの数々が待っていました。次の日も同様なスケジュールが続きゲオルギ修道院を基地とした3泊4日の貴重な研修でした。
モルドバ地方の中世修道院文化についての研究は、19世紀後半以来盛んとなり、今までに多くの書物や論文が発表されております。修復作業も100年以上前からさまざまなかたちで行われ、チャウセスク体制下も、体制崩壊後も細々と続けられていました。1992年にパリのユネスコ本部に対し保存修復の支援を訴えたのが始まりとなり、国際的な支援体制のもとで修復が続けられるようになり、日本もユネスコ保存修復事業に参加しています。
ルーマニアのフレスコ画修復の技術は、西ヨーロッパに較べて遜色なく、伝統的な技法と素材を生かした独自の修復方法を築いています。オーストリアやフランスの修復家との共同作業が実りある成果をもたらし、同時にルーマニアの修復技術を外に広めることにも貢献しています。何よりもオリジナルを尊重し、修復に取りかかった時点の状態をそれ以上悪化させないで保存することを基本として、並々ならぬ情熱とプライドを持ち手仕事を続ける修復家達に、修行僧の祈りにも似た神々しさを感じました。大学の修復室には共産党時代に取り壊され現存しない教会の壁画。’89年の革命で傷ついた壁画も多く運びこまれてきます。ルーマニアの人達は教会の内外壁を埋め尽くす壁画に何を祈りつづけてきたのでしょうか?長い年月を風雪、人災にさらされ、今、修復室のベットに横たわっている壁画を前に、悠久の時の流れの中にたたずむ小さな自分がいました。
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